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コスタリカ旅行3:コスタリカの歴史



コスタリカ2日目、動物園の後は、コスタリカの歴史を学ぶために国立博物館へ行きました。

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コスタリカはアメリカ大陸のちょうど真ん中辺りにある細長い国。

九州と四国を合わせたくらいの国土に、500万人足らずの人が住んでいる小さな国ですが、

歴史は古く、紀元前3000年~2000年頃の遺跡が残っています。


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先住民は狩猟や農耕を基本とした素朴な生活を営んでいましたが、

16世紀初頭、スペインの探検家コロンブスの到来によって、この国の歴史が大きく変わりました。

征服の過程でヨーロッパからもたらされた疫病や大量殺戮により、

推定40万人とされていた先住民の人口は、17世紀の初めには1万人に激減したのです。



それから300年ほどはスペインの植民地でしたが、人口の激減で産業が生みだせず、

スペイン領の中では最も孤立した貧しい場所でした。



19世紀に入ってスペインから独立、コーヒーやバナナを基盤に経済的に発展しました。


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(何キロも続くバナナプランテーション)



20世紀に入ると、内戦や2つの世界大戦に巻き込まれましたが、

第2次世界大戦後は民主主義が根付き、1949年には軍隊を廃止。

「永世中立」を宣言して、「中米のスイス」と呼ばれるようになりました。



近年では環境に配慮したツアーリズムの開拓と治安の良さで、観光客が世界中から訪れ、

特にアメリカ人の間では、コスタリカをリタイヤ先に選ぶ人が増えているそうです。



博物館を見学しているうちに、夫はどんどん元気がなくなってきました。

「風邪がシンドイの?」その日の朝から、風邪の症状が出ていたのです。

「いや、白人のすることは本当に酷いと思ってね…落ち込んでしまうよ。」

「そうだね…じゃ、ここを出て街を歩いて気分を変えようよ。」



赤信号でも平気で突進してくる車や、道路のゴミをよけて歩くのに四苦八苦したり、

中華街では、中華っぽい店が3~4軒あるだけで、残りは全部ラテン系だったので笑えてきたり、

「ステッペンウルフ」の看板があったパブに入ってビールを飲んだり、

道行く人や屋台の人達とスペイン語であいさつを交わしたり…


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楽しくも混とんとした街を2時間ほど歩いた後で、

結局、夕食は前日と同じ、ローカルフードのレスランへ行きました。


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この日、私達が注文したのは、シーフードの盛り合わせ、

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これで2人分です。



この頃になると、スペイン語を使うのに結構慣れてきて、

食べ物を注文したり、美味しかったとか、お腹いっぱいとかそんなことも言えるようになって、

ウエイターさんに褒められました。(〃▽〃)ポッ

(スペイン語の母音の発音は日本語と同じ、日本人にとっては英語より簡単です。)



ちょうどその時、前日のウエイターさんが私達に気づき、

「おや!今日も来て下さったんですね!

今日はこのテーブルの係じゃないんですが、あなた達にお会いできてとても嬉しいですよ!」

わざわざ私達のテーブルまで話しに来て下さったので、4人で盛り上がりました。



美味しいものを食べ楽しい時間を過ごしたせいか、

夕食が終わった頃、夫はすっかり元気になっていました。

コスタリカ旅行4に続きます。



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by mimozacottage | 2018-02-15 11:00 | 旅行(中米)

コスタリカ旅行2:珍しい動物&カラフルな鳥



コスタリカ2日目は近辺を散歩した後、サンホセ市内の動物園と国立博物館に行くことにしました。

地図を見ながら動物園を探していると、

英語やスペイン語で「どこへ行きたいの?」「道に迷っているのではないの?大丈夫ですか?」

ちょっと歩くだけで、沢山の人が親切に話しかけて下さいます。



治安の良さや自然の美しさ等良い評判を一杯聞いたにもかかわらず、

実際コスタリカに来てみると、道路のゴミとホームレスの人が多くて正直ガッカリしたのですが、

人々の親切さは半端じゃない。この国の色んなマイナス面を補って、余りあるほどでした。



さて、しばらく迷った後で、やっと動物園の近くまで来たのですが、

どうしても入口がわからず、困り果てたところで、

小さなカフェを見つけました。



「ここで行き方を聞けるかもしれないから、寄っていかない?」私が言うと、

夫は「カフェの人が英語全然ダメだったら、何にもならないじゃないか。」と言います。



困った時、妙に肝が据わる私は、「いいのいいの、ダメ元でやってみるのよ。」

それに密かに…折角スペイン語の講座を取り始めたのだから、

コスタリカではなるべく英語を使わず、スペイン語でサバイバルしたいと思っていたのです。



"¡Hola! ¿Habla inglés? ” (こんにちは! 英語が話せますか?) 対応してくれた若い男性に聞いてみると、

「はい、話しますよ。」まるでアメリカ人かと思うような流暢な英語が返ってきました。

スペイン語でサバイバルしたいと言いながら、内心「あ~、助かった!!


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店長さんお勧めの『苺とパイナップルのスムージー』を頂きました。
色が綺麗で美味しかった♡



彼の英語はあまりに発音が綺麗なので、一体何処で勉強されたのだろう?と話を伺うと、

お母さんが英語を話され、家では英語で話しかけられることが多かったとのこと、

そしてなんと!ワシントン州の Wala Walaという町に従兄弟さんが住んでいて、

英語を勉強するために3か月滞在したそうです。



Wala Walaは我が家から約4時間の距離にあるワインの町です。何という偶然でしょう!

私達がワシントン州から来たと言うと、男性(後で店長さんだとわかりました)は目を輝かせ、

地図を使って動物園の入口を詳しく説明して下さった上、

「この店は8時まで開いているので、困ったことがあればいつでも訪ねて来て下さい。」と言って下さいました。



無事動物園に着くと熱帯植物が一杯、結構自然に近い形で動物が飼育されていたので楽しめました。


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(今にも咲きそうなバナナの花)


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コスタリカに生育しているサル

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アナグマ…可愛かったです♡

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綺麗な緑色のオウム

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目が覚めるような色のオウム

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ワニ:寝てばかりだから、背中にも苔が生えたのかな?

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顔はネズミか象のよう、体は牛のような不思議な動物は、

夢を食べると言われている伝説の動物に似ているので、日本語では「獏」、

英語では「Tapir(テーパー)」というのだそうです。



動物園の後は国立博物館に行ったのですが、長くなったので今日はこの辺で…

「コスタリカ旅行3」に続きます。



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by mimozacottage | 2018-02-12 04:03 | 旅行(中米) | Comments(12)

コスタリカ旅行


コスタリカ旅行に出発したのはアメリカ時間で1月9日(火)の午後でした。

シアトルからコスタリカへの直通はないので、最初にLA(ロサンゼルス)まで飛び、

数時間の待ち合わせの後、コスタリカ行きの飛行機に乗り替えたところで日付けが変わりました。



LAとコスタリカの時差は2時間、

飛行時間は5時間余りですが、飛行中にコスタリカ時間に変わったので、

コスタリカの首都サンホセ空港に着いたのは朝7時半でした。



入国や関税手続きを終え、ATMで現地の通貨コロンを引き出し、

40分ほどタクシーに乗ってホテルに着いた時は午前10時前、



こんな時間にチェックインできるかどうか心配だったのですが、

部屋の用意はできているとのことで、直ぐに部屋に入れてもらえました。

飛行機の中で一瞬ウトウトしたものの、一晩中ほとんど眠っていなかったので大助かりでした。


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(値段はアメリカの2/3くらいで、広いいリビング&ダイニングルーム付き)



この時はまだ、旅行の緊張というか興奮状態で、すぐに眠れるとは思わなかったのですが

ベッドに入るとバタンキューで2時間余りぐっすり眠り、

目が覚めてから、夫と二人でホテル近辺の探索とランチに出かけました。


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(エキゾチックな雰囲気のレストラン)


二人共アメリカに長く住んでいても、カナダに行く以外は合衆国を出たことがなく、

中米も南米も全く見たことがなかったので、

ホテル近辺を歩くだけで異国情緒を感じて、気分が高まりました。


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(ヘミングウェイの名前が付いたペンション:
ヘミングウェイ所縁のある建物かと思っていろいろ調べてみましたが、そうではないようです。)



散歩の途中で、私はまたもや強烈な眠気に襲われたので、

先にホテルに帰ってお昼寝、目が覚めると夕方になっていました。




夕食はローカル料理が食べたくて、ホテルの人に紹介されたレストランまで歩きました。

途中、小さなお土産屋さんが百軒以上も立ち並ぶ商店街を歩いていると、

突然「ニーハオ」と挨拶されたり、「こんばんは」と言ってくれる人もいてビックリしました。




コスタリカでは東洋人はほとんど見かけないので、私の顔が珍しかったのでしょう。

通りがかったパブでは、日本語の看板を見つけたので写真を撮りました。


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だけど…「ステッペンウルフ」とは一体何ぞや?



夫に質問すると、ビール通の彼はちゃんと知っていました。

ビールの銘柄の一つで167.png

ドイツの哲学者「ショーペンハウエル」に因んでこの名が付けられたのだそうです。



「なかなか美味しいよ。」と夫は言いますが。

でもこの看板を見て、「あ、あのビールだ!」と分かる日本人の方は一体何人いらっしゃるのでしょう?

なんか日本語で書いても意味がないような…(^^;)



さて、私達が行ったのは地元を代表するレストランらしく、(英語を話す)外国人客が沢山いて、

外国の国旗が沢山飾ってありましたが、日本の旗は見当たりませんでした。

日本人の観光客はやっぱり少ないのかな?


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私が注文した料理、名前は忘れてしまいましたが、

お皿代わりのバナナの葉が異国情緒を誘い、味もとてもよかったです。

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コスタリカ旅行2に続きます。



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by mimozacottage | 2018-02-09 04:43 | 旅行(中米)

「赤毛のアン」の島6 モンゴメリが眠る墓地と遺族の決断


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小雨や曇りの日が続いたプリンスエドワード島(Prince Edward Island: 以下PEI島)滞在3日目、

空は抜けるような青でした。夫が言います。

「PEI島は広いから見てない所が一杯あるよ。島の観光に行こうよ。」

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(私達のロッジの庭にやって来たキツネ)




実は私は別のことを考えていたのですが、

前日はアンの家とモンゴメリ住居跡で4時間半も過ごして、夫に十分付き合ってもらったので、

今度は彼のしたいことをする順番だと思い、夫が行きたい所へ観光に行くことにしました。



島の南にあるアケイディア(フランス系移民)の多く集まった村や、名前を忘れた可愛いレストラン、

PEI島独特の赤い道がどこまでも続いている草原など、

島の美しさを目の当たりにして、憧れのPEI島にいるんだと実感しました。




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(アンとマシューを乗せた馬車が今にも見えてきそうなPEI島の赤い道)


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モンゴメリが「プリンスエドワード島は世界で一番美しい場所」と形容した通り、

何処も彼処も本当に美しい所でした。



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PEI島はシーフードが美味しいと聞いていたのですが、

中でもロブスターとムール貝は信じられないほど安くて美味しいです。

いきなり現実的な話で申し訳ないですが、ロブスターは1Kgが約500円程、ムール貝はさらに安かったです。

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ロッジ近くのビーチでもムール貝がゴロゴロあって、踏まずに歩くのが難しいほどでした。

私達は地元の人が行くスーパーで野菜やシーフードを買って、

2日目の夜からレストランへ行かないで、自炊しました。

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夫と一緒に観光や夕焼けのディナーを楽しむ一方で、

私の心に沸々ともたげて来るものがありました。



「モンゴメリの墓地にお参りして、冥福を祈りたい…」

だけど、PEI島に一緒に来てくれて、もう十分付き合ってくれた夫を

これ以上引っ張りまわすのは悪い気がしたので、そのことを口に出せずにいたのです。

「彼はそこまではしたくないだろうな…。」

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そのまま3日目が過ぎ、4日目…翌日はPEI島を離れるという日の午後、

観光を終えロッジに帰る途中で、給油するためにガソリンスタンドに立ち寄りました。

夫がガソリンを入れている間、何気なく外を眺めていると、通りの向こうに村の墓地が見えました。



ゲートに書いてある文字を読んでみると、こう書いてあったのです。

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「L・ M・モンゴメリが眠る場所」

「嘘でしょう~!?」あまりの偶然に鳥肌が立ちました。



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ゲートから少し離れた場所に、ゼラニウムとアリッサムで飾られた一角があったので近づいてみると、

「ユーアン・マクドナルド」と書いてある墓石に、小さくモンゴメリの名前も見えました。



モンゴメリの夫ユーアンは妻が亡くなった1年後に亡くなりました。

モンゴメリが愛したPEI島のキャベンディッシュ(「赤毛のアン」の中ではアヴォンリー)の墓地で、

二人は静かに眠っています。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆☆☆☆☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・




私達がPEI島を旅したのは2013年9月3日~7日、今から4年4か月前のことです。

この旅行記を書く前に、「赤毛のアンの島」5でジェニーさんから聞いた話の裏付けを得るために、

モンゴメリの孫娘ケイトさん(Kate Macdonald Butler)が2008年9月に発表したエッセイを読んでみました。



ケイトさんは、モンゴメリが亡くなった時に駆けつけた三男スチュアート(医師)の娘さんです。

彼女自身はモンゴメリが亡くなった後に生まれたので、面識はないそうですが、

大人になって、父親から祖母モンゴメリの自死に関する話を聞いたそうです。



そのことは長い間家族だけの秘密だったそうですが、

モンゴメリを助けられなかったことで、長い間苦しんできた遺族の方々は、

2008年「赤毛のアン」出版100周年を迎えて、彼女の本当の死因を世間に公表する決断をしました。



決断に至った理由は、

「心を病むのは特殊な人々ではなく、誰にもその可能性がある。

世界的名作を生んだ人気作家であっても例外ではないのだ。」と、

多くの人が知ることによって、心の病に対する偏見が少なくなり、

病に苦しむ人達が助けを求められやすい社会になるのではないか?と考えたからだそうです。



モンゴメリが自分一人で苦悩を抱え込まないで、誰かに助けを求められることが出来ていたら…

或いは心労が酷くなる前に、愛するプリンスエドワード島に帰って来ることが出来ていたら…
(当時住んでいたのは、カナダのトロント市)

彼女は悲惨な最期を迎えずに済んだかもしれません。



モンゴメリは「世界中に夢と希望を与えることができても、自分自身は不幸だった作家」と言われていますが、

彼女が偉大な作家だったという事実に変わりはないし、

私にとっては、今までもこれからも憧れ続ける、永遠に素晴らしい女性です。




「赤毛のアンの島」これで終わりです。


*4回に分けて書こうと思った旅日記ですが、

書き始めると、聞いた話やエピソードが一杯あって6回に膨れ上がってしまいました。

長い旅行記を読んで下さって、本当にありがとうございました!



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by mimozacottage | 2018-01-08 08:14 | 赤毛のアン | Comments(10)

「赤毛のアン」の島5~アンとモンゴメリ


モンゴメリの従兄半(従兄弟の子 ”従兄弟違い”とも呼ばれる)ジョンさん*に別れを告げ、

ジョンさんの奥様、ジェニーさんが経営される本屋さん(ウエブサイト→モンゴメリの家)へ向かいます。

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手入れの行き届いた芝生と可愛らしい花が咲く庭、

爽やかな気分で散歩道を歩いて本屋さんに着きました。

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本屋さんの素朴な建物は、元はモンゴメリの祖父が経営していた郵便局でした。

祖父が亡くなった後、モンゴメリは祖母のアシスタントとしてここで働きました。


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この建物で本屋さんを経営するジェニーさんは毎日休まず、

訪問客に向けてモンゴメリの生涯について話をされています。(冬場は予約がいるそうです。)

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(ジェニー・マクネイルさん)



この箱はモンゴメリが働いていた当時のまま保存されている郵便箱で、

「赤毛のアン」をはじめ、初期のモンゴメリ作品の原稿は全部この中に投函されました。



「赤毛のアン」は出版されると同時に熱狂的に迎え入れられ、モンゴメリは一躍世界的な有名作家になりましたが、

出版に漕ぎつけるまでの道のりは厳しく、原稿は何度も出版社から送り返されたのです。



自尊心の強いモンゴメリがそれでも諦めず、原稿を送り続けたのは、

郵便箱の仕分けをする仕事が彼女自身であったため、村の誰にも知られることがなく、

出版社から返された原稿を受け取り、また別の出版社に送ることができたからだそうです。



上の写真は、ジェニーさんがちょうどその話を説明されている所です。


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(郵便箱の横のガラスケース: 人形のアンとダイアナがお茶をしている)




「赤毛のアン」の主人公アン・シャーリーは作者モンゴメリの分身だったと言われ、二人には多くの共通点があります。

幼くして親を失ったこと(モンゴメリの場合は1歳9か月で母を亡くし、父は幼い娘を祖父母に託す)、

色々な逆境を想像力で乗り越えようとしたこと、



アンが優秀な成績で学校を終えたように、モンゴメリも優秀な成績で学校を終え教師になりました。

アンが男性に人気があったように、モンゴメリにも幾つかのロマンスがありました。



厳しいながらも愛情深くアンを育てるマリラは、モンゴメリを育てた祖母がモデルだと言われていますが、

アンがマリラを大切にしたように、モンゴメリも祖母を大事にしました。

自分の結婚よりも彼女との生活を優先させて、祖母が亡くなるまで独身を通したのです。

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(ルーシー・モード・モンゴメリ:
Borrowed Image from Lucy Mode Montgomery Cavendish Home)



しかしながら…アンとモンゴメリの大きな違いは、その後の結婚生活です。

幼馴染のギルバートと結婚して幸せな家庭を築いたアンと違って、モンゴメリの結婚は幸せではありませんでした。



モンゴメリが35歳の時に結婚した夫、ユーアン・マクドナルド牧師には深刻な精神疾患がありました。

長時間虚ろな目で宙を見続ける彼は仕事や家庭の責任が果たせず、

モンゴメリの肩にすべてがかかった上、



彼女や子供を否定する発言を繰り返したり、

薬局の投薬ミスをモンゴメリのせいだと思い込み、彼女を殴打する等DVもあったそうです。



鬱病の夫ユーアンの世話をしているうちにモンゴメリ自身も鬱病を患い、

睡眠薬や抗うつ剤を常用するようになりました。

1942年4月24日、家族に許しを乞う手紙を書き残し、ベッドで亡くなっているのが発見されました。



駆けつけた2人の医者(うち1人はモンゴメリの3男スチュアート、もう1人は地元の医師)の所見によれば、

薬物過剰摂取による自死だったのですが、

遺族の心情を慮った地元医師が別の病名(冠状動脈血栓症)を診断書に書き、検視は行われなかったそうです。



出版社に印税を騙し取られて訴訟になったこと、二つの世界大戦や大恐慌、スペイン風邪の流行等、

モンゴメリの周辺には、心労になる原因が少なからずあったようですが、

一番の原因は、夫ユーアンとの不幸な結婚生活だったと言われています。



モンゴメリは人前で家庭の悩みを一切口にせず、いつも微笑みを絶やさなかったそうです。

自分の悩みを誰にも言えず、助けも求められず、

たった一人で悩んで、心労を深めていったようです。

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(世界中から集められたアンの本が展示されている棚)



私は長い間憧れ続けた作家のあまりに悲しい最期を聞き、

胸が押しつぶされそうでした。

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夫と私は、来る時とは全く違う重い足取りで本屋さんを出て、来た道を戻りました。

モンゴメリが愛した庭には、英語とフランス語でこんな言葉が書かれています。



「喜びをもたらしてくれる私の庭…私は花の中でダンスしているわ、一番愛らしい花が沢山咲いている中で。

私の一番の楽しみは朝、庭に出て、夜の間に蕾が開いた新しい花を見ることなのです。

ルーシー・モード・モンゴメリ」


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人一倍命を慈しみ、生きていることの喜びや美しさを世界中に伝えた作家が、

自らの手で命を絶つことになった皮肉、理不尽さ、やるせなさ…

重い心で私達はアンの家の前を通り過ぎ、宿泊先のロッジに帰りました。


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アンの島6(最終日)に続きます。


*アンの島4の中で、私に温かい言葉とハグを下さったジョン・マクネイルさんは昨春お亡くなりになり、
奥様のジェニーさんと息子のデビッドさんが住居跡を管理しておられるそうです。

*ジョンさんはモンゴメリの従弟さんではなく、ジョンさんのお父様とモンゴメリが従兄妹同士でした。
訂正してお詫びします。



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by mimozacottage | 2018-01-05 04:15 | 赤毛のアン

「赤毛のアン」の島1~プリンスエドワード島を目指すまで★



突然ですが、4年前にタイムスリップして、

長い間書きたいと思っていた旅行記、

カナダのプリンスエドワード島のことを4回(予定)に分けて書きます。



今まで通り、コテージでの日常も記事にしたいので、旅行記は飛び飛びになると思いますが、

赤毛のアンのファンの方や皆様に楽しんで頂けたら、嬉しいです。

もう4年も前のことなので、記憶が薄れている部分もあり間違いを書くかもしれません。

間違いに気づかれた方、ご指摘頂けましたら幸いです。

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(プリンスエドワード島:アン博物館)



「赤毛のアン」の島、プリンスエドワード島(Prince Edward Island:以下PEI島)を

訪ねたのは2013年9月のことですが、

モンゴメリ作「赤毛のアン」に最初に出会ったのは1980年代、当時私は子供2人の若い母親でした。




「赤毛のアン」にのめり込んで、村岡花子訳の「アン」シリーズを読んだ後、

日本語訳が出ていたモンゴメリ全作品を 手当たり次第に読んでいきました。




それから数年後、PEI島の写真集が出て、

どのページも穴が開くほど見入った後は、

部屋の隅に「アン」コーナーを作って、椅子の上に写真集を飾っていました。




その時は、将来自分がそこへ行くことになるとは夢にも思わず、

写真集をそばに置いて、PEI島に行った気持ちになるのが精一杯、

つましい生活だったけれど、子供に囲まれ幸せでした。




その後シングルマザーになり、

2005年に今の夫と再婚してから、私の人生はガラリと変わりましたが、

それでもPEIへ行くことは、夢というより見果てぬ夢、

あまりにも長い間、憧れだけで満足し、夢を現実にしようとは思わなかったのです。




1年後アメリカに移住してからも、夫とはPEI島のことを話したこともなく、

島のことは半ば忘れかけていました。




アメリカに移住して3年目のある日のこと、英語の勉強のために、

”Anne of Green Gables" (「赤毛のアン」の原作)を声に出して読んでいて、

ふと気が付くと、傍にいた夫がそっと涙をぬぐっていました。




袖の膨らんだ服に憧れ続けたアンが、マシューからのクリスマスプレゼントに、

袖がふんわり膨らんだ茶色のドレスを貰う場面です。




夫が「赤毛のアン」を始めから聞きたいと言うので、次の日からまた最初に戻り、

夏は木陰のベンチで、冬は暖炉や薪ストーブの傍で、

私が読む ”Anne of Green Gables" に耳を澄ませながら、夫は時々発音を直してくれました。

結局二人でその本を2回読み終え…彼はアンの大ファンになったのです。




再婚で人生はガラリと変わったものの、

”夢は叶わぬもの” という長年の諦め癖が抜けないのか?

それとも長い間の夢を 完全に断ち切られるのが怖かったからなのか?




それからも「PEI島に行きたい。」と口に出してみることもなく月日は過ぎて、

4年前の春、突然夫がこんなことを言いました。

「旅行先はいつも俺が決めてるから、今度はミモザの行きたいところへ行こうよ。

一番行きたいところは何処?南極でもいいよ。」




「一番行きたいところ?それは子供の傍よ。その次に行きたいところはプリンスエドワード島よ。」

(その年は息子が日本に就職した年で、あとの子供もアメリカ以外の国に住んでいました。)

子供の傍へ行きたかったのは本当ですが、PEI島は半ば冗談で言ってみました。




「プリンスエドワード島?いいね~!秋に行こうよ。」

突然、まるで冗談のように、長年の夢が叶うことになったのです。


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2013年9月3日、シアトル空港からデトロイト経由で、カナダのHalifax(ハリファックス)空港まで飛び、

ハリファックスからレンタカーでPEI島を目指しました。


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PEI島についてすぐ、シーフードの店でランチを取り、


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4泊予定のロッジへ着きました。
(その日は曇りだったので、この写真は別の日に撮りました。)



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(私達のロッジです。)



「赤毛のアン」の家がある「アン博物館」までは、ここから車で5分、

庭の向こうは海になっていました。


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(ロッジの庭から撮った写真:PEI島に着いて3日目)


部屋に荷物を運び入れると、私はすぐさまアンの家まで飛んで行きたかったのですが、

「アンの家へ行くのは明日にしようよ。」夫が言うので、その日はじっと我慢(;´・ω・)

近くを散歩して、夜はシーフードのお店でロブスターを食べました。

(その⓶に続きます。)

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(ロッジのキッチンとダイニングルーム:自炊ができました。)


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by mimozacottage | 2017-12-21 04:30 | 赤毛のアン | Comments(6)

最終日:シリアから来た青年&古城を臨むライン川下り~ドイツ・フランクフルト


3週間前に飛行機で降り立った旅の出発点、フランクフルトに戻ってきました。

帰りの飛行機に乗るためですが、ついでにライン川下りもしたかったので2泊しました。



ライン川下りは、フランクフルトからリューデスハイム(Rüdesheim)という駅まで列車に乗って、

そこから船に乗るのが便利だと聞かされ、列車に乗ったのですが、



列車の中でスマホの地図を見た夫が、「その駅はライン川から離れているよ。」と言うので、

地図上、ライン川に近いと思われた駅で途中下車をして、案内所で船乗り場を聞きました。

バスで20分くらいだそうです。あれ?結構遠いな…



とにかく、案内所で教えてもらったバスに飛び乗ると、バスはほぼ満員、一人分空いた席に私が座ると、

向かい合わせの席で私の前に座っていたドイツ人の若者が、夫に席を譲ってくれました。



さて私達、バスに乗ったはいいけど、

どこで降りたらいいのかさっぱりわからない。



若い人だったら英語が話せるだろうと、

私の隣に座っていた若者に尋ねようとしたら、英語もドイツ語もまるで通じなくて、

しきりに、先ほど夫に席を譲ってくれた若者(二人は知り合いのようでした)の方を指さすので、

その人に英語で聞くと、丁寧に教えてくれました。




彼によると、英語もドイツ語も通じなかった青年はシリア人難民の方で、

つい最近、ドイツにやって来たのだそうです。




それを聞いて、シリアの惨状を思い浮かべ、

ここに辿り着くまで、どんなに苦労されたことだろう?と胸が詰まる思いがして、

一瞬、シリア人青年を抱きしめて上げたいような気持ちでしたが、



相手は見知らぬ男性だし、

せめて、「今まで大変な思いをされたことでしょうね。」と

労いの言葉の一つでもかけたかったのですが、

互いに理解できる言葉が無いので、それもできず、黙っていました。



夫は挨拶程度のアラビア語を知っているので、

知ってる限りのアラビア語を喋って、二人の青年(特にシリア人の方)に多いにウケていました。




ドイツ人の若者はそのすぐ後にバスを降り、それから4つ目位のバス停が船乗り場だったので、

私達が降りようとして、席を立ち上がったちょうどその時、

バスがグラッと大きく揺れたので、私はバランスを失い、前のめりに倒れそうになりました。




そのまま行けば、ステンレスのポールに思いっ切り顔をぶつけるところで、

自分でも「あ、危ない!」と危険を感じたその瞬間、

シリア人の青年がサッと手を出して、私が倒れないように体を支えて下さったのです。




夫はアラビア語で「ありがとう」と言い、私は咄嗟のことで日本語でお礼を言ってから、

慌てて、英語とドイツ語で「ありがとうございます!」と付け足しました。

言葉は通じなくても、「ありがとう」は理解できるだろうし、気持ちは分かって頂けたと思います。



今までニュースでしか知らなかったシリア人の方と、バスの中で隣り合わせに座ったり、

助けてもらう日が来るとは思ってもみませんでした!



さて、やっとの思いで辿り着いた船乗り場ですが、一日に一便しかない船が出た後だったので、

私達はバスで来た道を戻り、再び電車に乗って、元の予定通りリューデスハイムまで行くことにしました。



リューデスハイムに到着すると、既に日は西へ傾き、時刻は午後3時半、

船乗り場は駅のすぐ傍だったので、そこでライン下りの出発時間を聞くと、最終便が4時15分に出るそうです。


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出発まで30分間ほど街を散策する時間がありました。


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とても綺麗な街なのに、時間が無くて駆け足で見て回るのがやっと…

一瞬、なぜ初めからここへ来なかったかと悔やまれましたが、

バスの中でとても貴重な体験をしたので、それでちょうどよかったのだと思いました。



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ライン川と言う名前を初めて知ったのは、

中学校の音楽の時間、「ローレライ」という曲を習った時です。

ドナウ川と同じく、その頃の私にはあまりにも遠くて想像すらできなかった場所です。


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大人になった私にさえ、長い間…ライン川、そもそもヨーロッパ自体が夢のように遠くて…

決して手が届かないと思っていた場所でした。


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夫と結婚し、アメリカに住むようになってから、


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実際にライン川下りをした友人達の話を聞いたり、

古いお城がいっぱいあって素敵な所だから、ミモザも行ってみれば?とその人達に勧められて、

夢の彼方にあった川がグンと身近な所までやって来たのです。


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♪~なじかは知らねど心わびて

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昔のつたえはそぞろ身にしむ


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さびしく暮れゆくラインのながれ

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いりひに山々 あかくはゆる~♪


「ローレライ」
原詩:ハインリッヒ・ハイネ 訳詞:近藤朔風




赤く映えた山は見ませんでしたが、

船に乗ったのが夕方近くだったおかげで、

歌詞にあった通りの、「寂しく暮れ行くラインの流れ」を目の前で見ることができ、感動しました。



今回の旅、全員のことは記事に書けませんでしたが、沢山の国々の人に出会いました。

肌の色や文化や言葉が違っても、同じ人間同士、

心の中の思いもほとんど同じで、どの国の人も暖かいと感じました。



戦争や暴力やいじめ、また住む場所を奪われるような事が起きなくて、

誰もが幸せに生きて行ける世界…そんな世界の実現を願ってやみません。

2017年ヨーロッパの旅日記、終わりです。



長い旅日記をここまで読んで下さって、どうもありがとうございました!

今日も皆様が幸せな一日を過ごされますよう願っています。



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by mimozacottage | 2017-10-08 05:45 | 旅行(ヨーロッパ)

チューリッヒ湖のクルーズ~スイス・チューリッヒ sanpo


スイスは山が綺麗ですが、美しい湖も一杯あります。

スイス滞在3日目は、夫の提案でチューリッヒにある三ケ月形の大きな湖、

チューリッヒ湖をクルーズすることになりました。

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ホテルから10分位で歩いていける桟橋で、チケットを買って乗り込みます。

嬉しいことに、持っていたユーレイルパス(ヨーロッパの鉄道フリーパス)を見せると、

チケットが半額になりました。

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私達が乗ったクルーズ船「パンタ・ライ」、とても綺麗でサービスが行き届いていました。

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何か所だったか、駅のような桟橋があって船が泊まりました。「道の駅」ならぬ「水の駅」ですね(*^^*)

私達のチケットは一日中、どこでも乗り降り可能、

面白そうな所があれば、そこで降りてちょっと街を散策し、

また次の船を待って乗り込むこともできました。



この船のシステムは観光客だけでなく、チューリッヒ市民にも愛されているそうで、

船の上で優雅な時間を過ごしたり、また通勤などにも利用されているようです。



そのまま乗っていれば、湖を4時間で巡るクルーズなので、

私達はずっと船の上で、美しい湖畔を眺めながら、ゆっくりお茶や食事をして過ごしました。


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船の上のランチ、

私は普段、肉類の加工品をあまり食べないのですが、

ヨーロッパではソーセージやハム、サラミなどが美味しくて…

この日頼んだのはメロンと生ハムです。



食事中、若いオーストリア人のウエイターさんとお話をしていて、私が日本人だと言うと、

”Oh!…I love Japan!!" と言って、ご自分の日本語を披露して下さいました。

アニメで覚えたそうです。


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今回の旅行で、私が日本人だと言うと、

目を輝かし、日本や日本人が大好きだという人に多く出会いました。

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なぜ、日本が好きなんですか?と聞くと、

その返答に「アニメ」と「日本人の礼儀正しさ」を挙げる人が多く、

また、ミュンヘンのレストランで席を隣合わせたギリシア人青年は、「歴史」でした。



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彼によると、歴史がある日本とギリシアはよく似ているそうです。

私は今までそのように考えたことがなかったので、面白い意見だと思いました。

そして、日本の良さを理解してくれる人が多いことを知って、本当に嬉しい気持ちでした。


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正直に告白しますと…私は普段、自分が日本人であるということを意識しないし、

その上常識が無いと言うか、礼儀を忘れがちな方ですが、



日本人のマナーの良さ、例えば大震災の時でも、

列にきちんと並んで配給を待ち、食べ物の奪い合いや略奪が起こらないという、

「マナー」の域を超越した、品格ある振る舞いが出来る日本人を改めて誇りに思いました。


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船を降りてから少し買い物…私は買い物嫌いなので、旅行中もほとんどしないのですが、

私達がアメリカの家を留守にする間、庭の面倒を見てくれている

「斜め向かいのアン」ことベイリーちゃんのために、スイスチョコレートの小さな箱詰めを買いました。

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旅行中、ベイリーちゃんのお母さんからメールで私達に送られてきた写真です。

ベイリーちゃんは喜んで水遣りを続け、

私が描いた庭の見取り図(その時の記事はこちら→記事)が大好きだったそうです💙



それでは皆様、幸せな一日をお過ごし下さいね!


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by mimozacottage | 2017-10-05 04:23 | 旅行(ヨーロッパ)

アルプスの少女ハイジの村へ~スイス・マイエンフェルト



ミュンヘンから列車に乗って約4時間、次の旅先スイスのチューリッヒへやって来ました。

スイスでは何の予定もなく、ゆっくり寛いだり、山歩きでも出来たら良いなと思っていました。



夫から、「ミモザはスイスで何がしたいの?」と聞かれて、

「はて、何をしよう?」…ふと頭に浮かんだのは、「アルプスの少女ハイジ」です。



その瞬間、昔観たTVアニメの中のヨーデルの歌声が聞こえてきました。

ヨ~ホ~、レリホロ、レリ、ヒ~~~♪♪、レリホロ、レリホロ、レリッヒ~♬

「よし、ハイジが私達を呼んでるから、ハイジの村へ行かなくっちゃ…!」



チューリッヒから、ハイジの村の最寄り駅Maienfeld(マイエンフェルト)までは、

列車で1時間ちょっと、そこからハイジの村へ行くバスが出ているようです。



マイエンフェルトに着いてみたら、そこはものすごい田舎で、駅で降りたのは夫と私だけ、

小さな駅には私達以外、人っ子一人いなくて、シ~ンと静まり返っています。

(観光客が一杯いて、皆の後について行ったら、自動的にハイジの村に着けると期待してたのですが…)



駅を出てバス停の時刻表を見ると、

多分それだろうと思われるバスは出た後だったので、途方にくれました。

「こんな所に、何の情報もなくやって来たのが間違いだった…。」



通りに出てみると、幸いインフォメーションセンターがあって、ドアを開けると、

観光パンフレットが並んだカウンターに、流ちょうな英語を話す女性がいました。

彼女の説明によると、ハイジの村は徒歩でも40分くらいで行けて、目印があって歩きやすいそうです。



な~んだ、40分なら悪くないと言うか、楽勝だ(^^♪

私達はハイジの村を目指して歩き始めました。


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良く晴れて気持ちのいい午後、ウォーキング日和です。

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村にはこのような水飲み場があちこちにあります。

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ブドウ畑も一杯

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ちょうど40分くらい歩くとハイジの村の入口に着いて、日本語の看板もありました。

この辺りまで来ると、「カラ~ン、カラ~ン…」と

牛の首に付けられたカウベルの長閑な音が間近に聞こえます。

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写真の中ほどに見えているのがマイエンフェルト駅辺り、

結構登って来たように見えますが、山歩きよりはずっと歩きやすい道でした。


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ハイジ博物館の前の看板には、

アニメのハイジより、ずっと大人っぽくて逞しい感じのハイジの絵が描かれていました。

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ハイジ博物館は、作者のヨハンナ・シュピリを記念する「ヨハンナ・シュピリ館」、

「ハイジの家」、「ハイジの小屋」…3つの建物があって、3つ全部を回る通しのチケットがあります。

「ヨハンナ・シュピリ館」に入ると、懐かしい日本のアニメの写真が目に飛び込んできました。

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明るくて思いやりのあるハイジの物語は世界中の人々に愛され、

その発行部数は、聖書とコーランに次いで世界第3位だそうです。



駅では人っ子一人見なかったのに、ハイジの村に近づくと、

ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、日本語、韓国語、中国語、

アラビア語、トルコ語、ヘブライ語(最後3つの言語を聞き分けたのは夫です。)…沢山の言語が飛び交っていて、




それだけでも世界中の人々にハイジが愛されているのがわかります。(皆さん、車や観光バスで来られたのかな?)


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(ハイジの家)


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狭い階段を上がって行くと、ハイジの部屋があります。

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(ハイジの部屋)


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車いすが置いてあるので、クララの部屋として使われたのでしょうか?

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(裸足のハイジが今にも飛び出して来そうな山の牧草地)



帰り道…来た道と違う道を歩いて迷ったのと、

うっかり履いてきた薄い靴下のせいで靴擦れができ、その痛みがどんどん酷くなって、

「困ったな~!」と思った所で、ちょうどワイナリーの看板が目に入ったので、

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ここでワインを飲みながら、一休みさせて頂こうと立ち寄りました。


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ドアを叩くと、出て来たのは、

もし物語のハイジが大きくなったら、こんな感じになったかな?と思えるような、

働き者で純朴そうな、凄く感じの良い女性でした。



ドイツ語で「英語が話せますか?」と聞いたら、「はい。」と仰るので、

「ワインの試飲をさせて頂けませんか?」と言うと、ワイン樽が並んだ素朴な試飲ルームに通されました。



彼女の英語はわかりにくかったので、時々夫と私の拙いドイツ語を混ぜて、

私達がアメリカから来たことや私が日本人だということなどを話すと、

目を輝かして、「日本、大好きなんです。いつか日本へ行ってみたいです!」と仰います。



彼女の英語は初級で私達のドイツ語は入門レベル以下なので、

多くのことは話せませんでしたが、

私の足は、椅子に座らせてもらってバンドエイドを貼ると、すっかり楽になりました。



そして出されたワインは、赤も白もとても美味しく、

しかもビックリするようなお値段だったので、白ワインを1本買いました。


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(ワイナリーで飼われていたヤギ)

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(駅の近くの通り:この辺はホテルやレストランが多い)


今はすっかり近代化されて、住民の豊かな生活振りが伺い知れるハイジの村ですが、

どこか昔ながらの生活も残っていました✨



それでは皆様、幸せな一日をお過ごし下さいね!


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by mimozacottage | 2017-10-03 04:46 | アルプスの少女ハイジ | Comments(8)

シンデレラのお城~ノイシュヴァンシュタイン城


夫と私、外見も性格も全く違いますが、共通点が色々あります。

その中の一つは、語学が好きなこと、もう一つは団体行動が出来ないこと。

群れるのが得意ではないのです。



ミュンヘン2日目は、ロバートの友人でツアーガイドをやっているアメリカ人と一緒に、

バスツアーに行かないかと誘われました。

団体旅行で来ている2、30人のアメリカ人達の中に混じって、お城巡りをするらしいのですが、

夫と私は乗り気ではありませんでした。



折角ヨーロッパに来てるというのに、アメリカ人社会から抜け出さず、

地元の人と接するチャンスがないのは、語学好きの私達にとって非常に勿体ないことなのです。



かと言って、私達は英語と日本語以外の言語が堪能なわけではないですが、

現地の文化と言葉に敬意を払い、挨拶だけでもその地の言葉を使おうとすると、

人々は親しみを持って接してくれるし、こっちも楽しくてワクワクします。



その日はちょうど、観光よりも洗濯を優先したかったので、ロバートからの誘いを断って、

午前中はホテル内のコインランドリーで洗濯、午後は二人でミュンヘン市街を散策しました。

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次の日は夫と二人だけで、

ミュンヘンから列車とバスで3時間ほどの所にある、ノイシュヴァンシュタイン城を訪ねました。



ノイシュヴァンシュタイン城と言えば、ディズニー映画の「シンデレラ」に出て来るお城や、

ディズニーランドにある「眠り姫のお城」のモデルになり、

「ドイツで一番美しいお城」とも言われている有名なお城です。



ミュンヘンから列車で2時間余り、ドイツ南部オーストリアとの国境近くの町、Füssen で降りて、

バスに乗り換えて約30分、さらに丘を40分ほど徒歩で登って行くか、バスや馬車で行きます。



バスから降りると、曇った空の中に、

ノイシュバンシュタイン城がまるで幻のように浮かび上がりました。

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この時はまだ距離が遠くてお城が小さかったので、ズームインして撮影しました。



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麓の景色も美しくて、それを見るだけでもここまで来た甲斐があったと思いました。

切符売り場でチケットを買って、お城を目指して丘を登り始めます。


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お城に少し近づいたところで、反対側の小高い丘の上に、

もう一つのお城、ホーヘンシュヴァンガウ城が見えてきました。

ノイシュヴァンシュタイン城の城主ルートヴィッヒ2世が幼少時代を過ごしたお城です。


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(ホーヘンシュヴァンガウ城)


ノイシュバンシュタイン城と比べて外見は地味ですが、

ロバート(夫の友人:ミュンヘン在住)が言うには、中身はこっちの方が断然見応えがあるそうです。

(2つのお城、どちらも見ると理想的だとか。)



上り坂をひたすら歩いていると、

夫が、「ミモザ、上を見上げてごらん。」と言うので、見上げて見ると…

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突然、こんな景色が頭の上にありました!

木が生い茂り過ぎて、お城が半分以上隠れているのがちょっと残念です。


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雲に半分隠れた遠くの山も綺麗でした。


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最後の上り坂を頑張って歩いて、

やっとお城の下までやって来ました。


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写真の中央辺り、ごつごつした2つの岩山の間に橋があるのがお分かりでしょうか?

その橋は「マリエン橋」と呼ばれ、

橋の上から見る、ノイシュヴァンシュタイン城が最も美しいと言われています。


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(Borrowed Image from Bing Images/landcastria.netblog
この画像はBing imagesのlancastria.netblogさんからお借りしました。)


絵葉書になっている写真は大体、この角度で撮ってあるようですね。

沢山の人が橋の上にいるのが見えましたが、私達は時間の都合でそこまで行けなくて…残念(:_;)


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そして階段を上って、ついにお城の入口付近に到着、

ここからはガイド付きでお城の内部を見て回りましたが、

中は残念ながら、厨房以外は撮影禁止でした。


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(地下にある厨房)


友人ロバートから、ノイシュバンシュタイン城の中身は大したことが無いと

聞かされていたので、期待は全くなかったのですが、

どうしてどうして…凄く見応えがあって、その様子をお見せできないのが残念です。




お城の見晴らし台から見た景色

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このお城は、中世騎士道に強い憧れを抱いていた、

当時のバイエルン王ルートヴィッヒ2世によって、19世紀に建設されました。



しかしこの建物は、王のロマンチックな夢を具現化するためにだけ作られたので、

城としての機能を果たす実用性に欠け、

構造や資金面でも問題があったので、完成には至りませんでした。



また、何かに取り憑かれたように、次々に城建設に着手しては借金を重ねる王に、

危機感を募らせたバイエルン政府は、彼を形ばかりの精神鑑定にかけてベルク城に軟禁しました。

軟禁された王ルートヴィッヒ2世はその後間もなく、主治医と共に湖畔を歩いている途中で謎の死を遂げたのです。



帰り道、夫が「振り返ってごらん。」と言うので、


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後ろを振り向くと、

夕日を浴びたノイシュヴァンシュタイン城が金色に輝いていました。


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by mimozacottage | 2017-10-02 00:23 | 旅行(ヨーロッパ)